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各企業の集客拡大戦略を紹介
日本百貨店協会が18日発表した11月の全国百貨店売上高は前年同月比6.4%減(既存店ベース)の6491億円で、9カ月連続の前年割れだった。年末は歳暮・クリスマス商戦や高額のコートなどの販売が重なる“かき入れ時”。だが、衣料や高額品の不振で「バブル崩壊後と同じパターン」(同協会)と15年ぶりの大幅な落ち込みとなった。年間売上高の前年割れは12年連続で、上期だけでなく、通期でも小売業では後発組のコンビニエンスストアに抜かれることが確実となった。
11月の全国百貨店売上高としてはバブル崩壊で前年同月比8.3%減だった1993年以降で最悪の水準。「株価下落や雇用不安など消費者の買い控え心理を増幅させる要因が重なり、売り上げ減少に歯止めがかからなかった」(日本百貨店協会)。
地区別では、10大都市圏が低迷し、中でもトヨタ自動車の業績悪化で贈答品の需要が落ち込んだ名古屋は同15.1%の大幅減だった。商品別では、衣料品が同9.1%減、美術・宝飾・貴金属は同15.9%減だった。
この結果、1〜11月の累計は6兆5865億円で、年間売上高は3〜4%減の見通し。
一方、日本フランチャイズチェーン協会によると、主要コンビニエンスストア11社の1〜10月の売上高は6兆4967億円。たばこ自販機用成人識別カードを持たない人が来店するタスポ効果が継続するため、年間で百貨店を抜く公算だ。
新興勢力だったコンビニが、長らく小売りの王者だった百貨店を抜いた背景には、新規出店に加え、品揃えの充実や金融など新サービス事業の強化などが消費者に評価されたためだ。
百貨店とコンビニを傘下に持つセブン&アイ・ホールディングスの村田紀敏社長は「一番の新業態のコンビニでも改革しないと変化に対応できない中で、小売りの中で一番古い百貨店も改革が必要」と指摘する。
百貨店の年間売上高はこの15年で約2兆円減少した。人口減少に加え、衣料や家電などの専門店が集積したショッピングセンター(SC)やネット通販など業態をこえた競争で劣勢を強いられている。また、力を入れていたキャリア女性向けのファッション衣料や富裕層向けの高級時計なども今回の景気後退で急速に販売が落ち込んでいる。
一方で、商品企画から携わり、品質と価格を両立させた新商品を送り出すカジュアル衣料のユニクロは、景気後退局面でも成長を続け、百貨店と明暗を分けた。百貨店は売り場をメーカーやブランドまかせにした結果、店舗が同質化し、消費者離れを加速した側面もある。
ここに来て、百貨店各社は自社企画の低価格品などの導入を積極化しているが、ユニクロのような製販一体モデルは一朝一夕には構築できない。各社ともセールの前倒しで集客を図るが、赤字覚悟の体力勝負の様相を呈している。
外食を控え自宅で食事する“内食”志向や食の安全・安心が注目され、百貨店の食料品販売は11月も前年を上回ったほか、お歳暮も堅調だ。中心市街地に立地し、衣食住すべてが一カ所で手に入る買い回りやすさや、高齢化社会に向けたきめ細やかなサービスなど強みもある。来年の消費は厳冬が予想される中で、「(好調の)ユニクロやマクドナルドは、価格だけでなく新メニュー、新商品が受け入れられている。百貨店もお客様が欲しい物を作り出していかないと底上げできない」(平出昭二・日本百貨店協会顧問)との厳しい声は業界内からも聞こえている。
国土交通省と観光庁は18日、航空、旅行業界と共同で、春休み限定の関西空港発着の旅行商品を発売することを明らかにした。航空会社が、期間限定で那覇空港など沖縄線の臨時便を増発し、これを利用したツアーを旅行会社が商品化する。低迷する国内旅行をてこ入れすると同時に、減便、廃止が相次ぐ地方路線を浮揚させるのが狙いで、年明け1月にも商品を発売する。10月の観光庁発足後、初の官民一体の大がかりな取り組みになる。
期間は3月の春休みを中心に3週間程度で、日航は、150人乗り「MD90」を利用し、13〜15日、20〜31日まで、関空−那覇線を運航する。ダイヤは往路が午前9時45分関空発(正午那覇到着)、復路は午後4時15分那覇発(午後6時関空着)だ。
一方、全日空は、9〜29日の土日や連休など需要が見込まれる日を中心に、126人乗り「B737」などで、関空−那覇を7往復、関空−石垣島を5往復の計12往復を運航する。
国交省は、国内の航空ネットワークの維持と、国内観光振興の緊急対策として、日本旅行業協会に旅行商品の企画と販売で協力を呼びかけ、具体的な商品内容や集客方法を検討している。さらに、国交省と観光庁は、行政と航空、旅行会社の連携をアピールするパンフレットを作成し、空港や自治体に支援要請などを行い、集客を後押しする。
関空発着の国内線をめぐっては、日航が函館、仙台線を11月に運休し、来年2月には岩手花巻、秋田、福島を運休させる。
全日空も、11月に北海道・女満別線を季節運航にしたほか、新千歳、羽田、沖縄線を減便した。大阪発国内線は伊丹空港に集約されつつあり、関空の地盤沈下は深刻さを増している。
航空会社が国内航空路線の減便や廃止に踏み切るのは、旅客数を確保できず収益が悪化しているためだ。2010年度の羽田空港の発着枠拡大を控え、収益基盤を強化したい航空会社にとり、利用率が低い地方路線の継続は難しく、路線の減便や廃止の危機に立たされる地方空港は多い。
国交省は、観光需要の創出で、航空便利用を後押しする今回の取り組みを、地方路線活性化施策のモデルケースにしたい考えだ。航空、旅行ともに収益性を確保し、事業性が確認できれば、他の地方路線でも同様の施策を展開する。利用率が低く、定期便を就航できない路線でも、期間を限った航空便の就航が可能になるなど、航空路線の新たな活用を模索する。
2008年12月22日、中国新聞網は香港ディズニーランドが施設拡張に向けて交渉を重ねていると伝えた。世界的な金融危機の影響が香港にも及んでいるが、拡張事業によって雇用機会が創出され、同園の集客力が拡大するものと期待されている。
同ランドは、05年9月に開園。米ウォルト・ディズニー社と香港特別行政区政府(以下:香港政府)が共同出資し、香港政府が筆頭株主となっている。開園から3年が経過したが、来園者数は伸び悩んだままである。業績不振の理由は「敷地が狭すぎる点にある」と指摘する香港政府は、ウォルト・ディズニー社と施設拡張に向けて交渉を重ねているが、双方は出資の件で折り合いがつかず合意には至っていない。
「香港経済日報」は22日付で、「世界的な金融危機の影響で、景気後退や失業問題の悪化に直面している香港だけに、拡張事業には雇用機会の創出が期待されている」と報じている。
推計によると、拡張事業によって約1000人の雇用が創出される見通しで、完成後には従業員数が現在の5000人から6000人に拡大する見込み。アジアでディズニーランドがあるのは日本と香港だけだが、上海市での建設も計画されていると一部で報じられている。
外食事業を手掛ける櫻家(港区新橋4)は、インドネシア料理店としては日本最古といわれている「インドネシアラヤ」(新橋4、TEL 03-3433-7005)が12月27日で閉店することを明らかにした。閉店後は来年度以降、同社運営で別業態になる予定。
1957(昭和32)年にオープンした同店は、昨年1年間にわたる50周年記念イベントを行ったばかり。急な展開にショックを受ける常連客も少なくない。中には親子2代にわたって来店している客や、50年通い続けている客なども多く、閉店が惜しまれている。
櫻家によると、閉店理由は業績不振のため。新橋の繁華街から外れたオフィスエリアという立地や、昔に比べ外食の際の選択肢が増えたことなどから「土日を中心に夜の集客が難しく、残念ながら他業態へ転換せざるをえなかった」(同社広報担当者)。希望するスタッフは他店舗などにシフトしているという。
同社が前経営者から引き継いだのは昨年10月。以降、1階が生花店、2階・3階が同店、4階・5階がオーナー住居という建物1棟すべてを同社が運営している。前経営者・秋間まど樺さん(45)はそこで生まれ育った。「1階の生花店を父が、インドネシアラヤを母が経営していた。家であり、遊び場であり、短大卒業後は職場だった」。
戦時中、秋間さんの父(89)はインドネシアに赴いたのを機に、両国の橋渡し的活動に尽力した。その関係で母(故人)がインドネシア料理店を始めたという。「とにかくインドネシアが大好きだった。クーデターのときも現地に駆けつけたほど。戦争中、現地の人々にお世話になったのだと思う」と秋間さんは話す。当時の常連客には国家的要人も少なくなかった。
店のインテリアは京都から取り寄せた竹を編んで漆を塗ったり、天井に手彫りの彫刻を施したりと、贅を尽くした。各階には会計やクロークがあり、価格も高かったという。「古くからの常連客によると、50年前と今と値段が変わっていないらしい」(秋間さん)。その店で秋間さんの母・中島敦子さんは看板だった。
「母が店に立ち、父の客が来る。常連客の間で『ラヤ会』という同好会ができるほど母は客に支持されていた。よく酔った母を常連客が送り届けてくれた(笑)」(同)。店舗は最盛期で銀座や日比谷、新宿など4店舗に及んだ。店内のインドネシアの民芸品やインテリアの買い付けは父が担当。「二人はとても良いコンビ。私には真似できなかった」。
店内の調度品の中には高価なものや50年前の貴重なものも少なくない。チラシを通して希望者を募り、数点は譲渡先が決まっているというが、行き先が決まらないものは「したくはないが処分するしかない」(櫻家広報担当者)。秋間さんは「新橋も変わり、引き際だった。でも私には閉店する勇気がなかった。それを肩代わりしてくれた櫻家さんに感謝している」と話す。
今月26日と最終日の27日にはフードやドリンクを全品500円(一部セットを除く)で提供するファイナルイベントを予定しており、長い歴史へのはなむけとされる。
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